お花の基礎知識

【植物の成り立ちと知識】バラの歴史

【植物の成り立ちと知識】バラの歴史

お花屋さんや花束でよく目にする色とりどりのバラ。

形や香り種類も豊富なバラですが、現在のようになるには様々な歴史がありました。
バラが誕生し人々とどのように関わってきたのか、バラの歴史についてご紹介します。

バラの誕生

<7,000万年前から3,000万年前>

バラ(バラ科バラ属)が誕生したのは、7,000万年前から3,000万年前と言われています。
近縁野生種の分布や遺伝的な変異の状況から、ヒマラヤ山脈の麓や渓谷あたりが、バラの発祥の地と考えられています。
日本では兵庫県の明石市で400万年前のバラの化石が発見されています。

古代文明とバラの歴史

メソポタミア文明

人類の歴史にバラが最初に登場するのは、メソポタミア文明です。墓地や神話、女神の像と共にバラが発見されています。

最古のバラの花束

<紀元前5000年>
エジプトのファイユームの墓地のミイラからバラの花束の遺物が発見されました。

『ギルガメシュ叙事詩』

<紀元前2000年>
メソポタミアの伝説的な王ギルガメシュを巡る物語『ギルガメシュ叙事詩』という神話にバラが登場します。この物語は粘土版に楔形文字で彫られており、バラという言葉が発見された最古のものとされています。

花の香りを嗅ぐ女神

<紀元前1500年>
「花の香りを嗅ぐ女神」と名付けられた女神の像がパリのルーブル美術館に所蔵されています。その右手には一輪の花を持っており、その花はバラであるといわれています。

ギリシャ文明

写真:ガリカ系ローズ ’コンプリカータ’

バラの1種のロサ・ガリガ(Rosa gallica)がトルコから地中海を経てロードス島(rodos:バラの意)に渡ってギリシャに伝来したという説があります。ギリシャ文明において、バラは香料や薬として使われていました。

クノッソス宮殿の壁画

<紀元前2000年?紀元前1700年>
ギリシャのクレタ島に建てられたクノッソス宮殿の壁面にバラが描かれています。この壁画は世界最古のバラの絵とされています。

ギリシャの板書

<紀元前2000年?紀元前1200年>
ギリシャのピュロスで紀元前1200年頃の板書が発見されており、バラについて書かれています。板書の記述により、バラは芳香のある油作りに利用されていたことがわかっています。

ギリシャ神話

ギリシャ神話にもバラは多く登場し、美しさの象徴とされています。ギリシャ神話の中では、花輪や冠に編んで手にしたり頭にのせたりすれば女性の美しさや可愛らしさを引き立て、人に贈る場合は相手を欲しているしるしとなるそうです。

古中国文明

<紀元前500年?>
古代中国の宮殿(周王朝)の庭でバラが栽培されたという記録があります。これはバラの栽培においてもっとも古い記録だとされています。
また、漢・元・明・清朝時代を経て品種改良された4種のバラが、後にヨーロッパにもたらされバラの歴史を変えることになります。

ローマ帝国とクレオパトラ

<紀元前750?27年>
ローマ時代、バラは貴族の贅沢品とされ、観賞したり日常で使われるようになりました。

この時代のバラへの関心は熱狂的であり、暴君と呼ばれる皇帝ネロは宴会場の天井から来客の頭の上に雨のようにバラの花びらをまき散らしたといわれています。
また、ローマ帝国の英雄たちに愛されたクレオパトラもバラを熱愛した一人です。バラの花と香水をふんだんに使った「バラ風呂」や「バラ床」で英雄たちをもてなしたとされています。
しかし、ローマ帝国の衰退とともに人々のバラ熱は冷めていってしまいました。

ヨーロッパとバラの歴史

十字軍が運んだバラ

<1096年?1270年>
キリスト教の聖地エルサレム奪還のために派遣された十字軍は、中近東で栽培されていたバラ(ダマスク・ローズやロサ・ガリカ)に魅了されました。そして、それらをヨーロッパに持ち帰ったことが新たなバラブームのきっかけとなりました。

十字軍の遠征はバラの東西交流の大きな役割を果たしたといわれています。フランスやイギリスを中心に貴族は再びバラの愛好家となりました。

バラ戦争

<1455?1485年>
イギリスの百年戦争の終わりにバラ戦争と呼ばれる貴族の内乱があります。
ヨーク家が白バラ(ロサ・アルバ)、一方のランカスター家が赤バラ(ロサ・ガリカ)を紋章としていたためにこのような名前がつけられました。終結時には両家のバラの色が組み合わさった「テューダー・ローズ」というバラが紋章となりました。

大航海時代

<1500年代?>
ヨーロッパの人々が新天地や未知のものを求めて海に出ました。
この時代のプラントハンターが中国で栽培されたバラをヨーロッパに持ち帰ったとされています。中国をはじめとしたアジアのバラは、のちにヨーロッパの園芸品種誕生に大きく貢献します。

マリーアントワネットとベルサイユ宮殿

写真:プチトリアノンの庭

<1755年?1793年>
オーストリア皇女のマリーアントワネットは14歳でフランス王室に嫁ぎました。マリーアントワネットの肖像画にはバラが多く描かれています。
バラの愛好家であった彼女の暮らすベルサイユ宮殿は、どの窓からもローズガーデンが見えるようになっていたそうです。また、マリーアントワネットのお気に入りの場所であった離宮プチトリアノンには、イングリッシュガーデン風の庭を作り様々な種類のバラを栽培していました。

ジョセフィーヌとマルメゾン宮殿

<1763年?1814年>
ナポレオン皇帝の妃ジョセフィーヌは熱狂的なバラの収集家でした。
世界各地にプラントハンターを派遣し、当時あったほとんどのバラ約250種をマルメゾン宮殿に集めさせました。また、A.デュポンをはじめとする育種家を雇い、人工交配を行わせて新しい園芸品種をいくつも誕生させました。
さらに、植物画家のルドゥーテにコレクションのバラの絵を描かせて記録に残しています。
このようなジョセフィーヌのバラ愛は、その後のモダンローズ誕生などバラの発展に大きく貢献しました。

モダンローズのはじまり

<1867年>
ハイブリット・ティーローズの「ラ・フランス」がフランスの育種家ギョーによって作出されました。「ラ・フランス」は交配親が自然界に存在しない人為的に作られた品種です。
このような人工品種の交配で誕生した系統のバラが、のちにモダンローズといわれるようになります。また、「ラ・フランス」が生まれたころまでに誕生したバラの総称をオールド・ローズと呼びます。

イングリッシュローズの育種

写真:イングリッシュローズ ’レディ・オブ・シャーロット’

<1961年?>
イギリスの育種家デビッド・オースチン(David C. H. Austin)が「コンスタンス・スプライ」という最初のイングリッシュローズの品種を発表しました。
イングリッシュローズはオールド・ローズの芳香と特徴、モダンローズの持つ返り咲き性や色幅の広さを併せ持つことが特徴です。

おわりに

7,000万年前から3,000万年前に誕生したバラは人々を魅了し、今では「花の女王」とよばれています。
古代文明では、バラは単なるバラという1つの花として扱われていました。

その後ヨーロッパの貴族社会でバラは花の色や形、芳香などの多様さを鑑賞するために広がりました。また、プラントハンターや育種家の活躍でバラの種類は数え切れないほどになりました。バラはその種類の数だけ人々の情熱と歴史のある、とても興味深い花です。
みなさんのお好きなバラにはどんな歴史があるのでしょうか?

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